2015年11月にアトリエ劇研が閉館するニュースを聞きました。
私はその時、東京のカレー屋にいて舞台関係者にこの話を聞き「ええっ」となったのをよく覚えています。劇場閉館に動揺したというよりはディレクターあごうさんがやろうとしていることが道半ばで閉ざされることに胸が締め付けられました。
2016年3月に京都市交響楽団のマーラー6番の演奏会を聞きに行きました。
マーラー6番には最終楽章で運命の打撃の象徴といわれるハンマーの音がでてきます。
とても重要な大きなハンマーを振り下ろす打楽器奏者が滑稽に見えるのですが、その姿の実直さに胸を打たれる思いもしました。
2016年4月にアトリエ劇研の最終シーズンの劇場調整の連絡が入り、2017年8月に上演がしたいと申し出ました。その時には6番「悲劇的」をやることは決めていました。
それからは生活の中で何かあるたびに、これは「悲劇的」な出来事かどうかを俯瞰する私が生まれました。そのうち、公演プランを進めることも、振付をつくることも、人前で踊りを興じることも、ダンスにまつわる全てが「悲劇的」になっていきました。
2017年4月「悲劇的」のリハーサルがはじまりました。
はじまると必ず終わりがきます。いつも同じです。大抵の作品は公演が終わったら終わりです。
アトリエ劇研もまもなく終わりです。なので「終わり」の色彩が強くでる上演になると思います。
終わること、続けること、始まることは「悲劇的」なことなのでしょうか。
どうぞ、高みの見物に興じていただければと思います。
2017年5月25日 城崎国際アートセンターにて
ダンスカンパニーKIKIKIKIKIKI
きたまり